ペンシルベニアの大学から仕事に復帰してからも、マッキントッシュは僕にとっていろんな意味でツールとして活躍していました。
日本ではパソコン通信と言っていたようですが、アメリカではネットワーク・コミュニケーションと言われていたサービスは当時はまだ、テキストだけの表示でしたけど、チャットと言うのも初めて経験しました。
アスキー・テキストで :-) がスマイル、:-( は不満、:-0 ビックリ、と言うのも使い始めていました。最初は僕も何のことかわからなかったのですが…分からない方は頭を左に90度傾けて眺めてください。
マッキントッシュSEを5年ぐらい使って、次に買ったのはクラシック・マックでした。
この頃には様々なデザインのマックが出ていたけれど、僕としては、この「だるまさん」デザインにこだわっていました。
これはLos Angelesにいる頃に買ったのですけど、この頃はLA在住の日本人のマック愛好家のサークル「虫食いりんご」に参加していました。Macintosh User Groupは各地で生まれていてMUGの通称で知られていました。
月に1~2度集まって、操作方法の解説、新しいソフトの紹介、指導などを行っていました。ここでも結構アクティブに活動していました。カミさんが仕事で家にいない時は当時まだ幼稚園に入るか入らないかの娘を連れて出かけたことも何度かありました。
いつもおとなしくしていてくれて、本当に手のかからない子でしたね。
日本のゼネコンの現地事務所をレイオフされて自営コンサルタントを細々とやっていた時も、このマックで建設・不動産関係のニュース・レターを作り、日系企業のデータ・ファイルからラベル印刷をして送付するなどの作業をこれ1台でこなしていました。
その後、ユニバーサル・スタジオに採用が決まった時に、思い切ってPowerBookを買ったのが僕のマック製品では最後でした。もう仕事は全てWindowsベースのPC環境になっていて、段々と不便を感じ始めたのもこの頃でした。
日本に戻ってきてからはマックからは離れてしまいましたけれど、Windowsの良い所は、ほぼ間違いなくマッキントッシュの初期の思想に端を発していると思います。
確かにマーケット規模、売上額ではマックはトップではないけれど、トップになる事よリンも「ユニーク」であること、自分の個性を大事にすること、と言った精神ではWindowsユーザーよりもMacユーザーに軍配をあげたいと思います。
今、評判のiPadの構想も1980年代か1990年代のプロモーション映像で見たことがあります。今のiPadみたいなマシンに音声認識をさせ、「エージェント」と言う人工知能が様々なデータを統合管理する、と言う内容だったと思います。
もう、あの「だるま」マックを使うことはないと思うけど、スイッチを入れた時の、あの「ボォ~ン」と言うサウンドには郷愁を感じます。
日本ではパソコン通信と言っていたようですが、アメリカではネットワーク・コミュニケーションと言われていたサービスは当時はまだ、テキストだけの表示でしたけど、チャットと言うのも初めて経験しました。
アスキー・テキストで :-) がスマイル、:-( は不満、:-0 ビックリ、と言うのも使い始めていました。最初は僕も何のことかわからなかったのですが…分からない方は頭を左に90度傾けて眺めてください。
マッキントッシュSEを5年ぐらい使って、次に買ったのはクラシック・マックでした。
この頃には様々なデザインのマックが出ていたけれど、僕としては、この「だるまさん」デザインにこだわっていました。
これはLos Angelesにいる頃に買ったのですけど、この頃はLA在住の日本人のマック愛好家のサークル「虫食いりんご」に参加していました。Macintosh User Groupは各地で生まれていてMUGの通称で知られていました。
月に1~2度集まって、操作方法の解説、新しいソフトの紹介、指導などを行っていました。ここでも結構アクティブに活動していました。カミさんが仕事で家にいない時は当時まだ幼稚園に入るか入らないかの娘を連れて出かけたことも何度かありました。
いつもおとなしくしていてくれて、本当に手のかからない子でしたね。
日本のゼネコンの現地事務所をレイオフされて自営コンサルタントを細々とやっていた時も、このマックで建設・不動産関係のニュース・レターを作り、日系企業のデータ・ファイルからラベル印刷をして送付するなどの作業をこれ1台でこなしていました。
その後、ユニバーサル・スタジオに採用が決まった時に、思い切ってPowerBookを買ったのが僕のマック製品では最後でした。もう仕事は全てWindowsベースのPC環境になっていて、段々と不便を感じ始めたのもこの頃でした。
日本に戻ってきてからはマックからは離れてしまいましたけれど、Windowsの良い所は、ほぼ間違いなくマッキントッシュの初期の思想に端を発していると思います。
確かにマーケット規模、売上額ではマックはトップではないけれど、トップになる事よリンも「ユニーク」であること、自分の個性を大事にすること、と言った精神ではWindowsユーザーよりもMacユーザーに軍配をあげたいと思います。
今、評判のiPadの構想も1980年代か1990年代のプロモーション映像で見たことがあります。今のiPadみたいなマシンに音声認識をさせ、「エージェント」と言う人工知能が様々なデータを統合管理する、と言う内容だったと思います。
もう、あの「だるま」マックを使うことはないと思うけど、スイッチを入れた時の、あの「ボォ~ン」と言うサウンドには郷愁を感じます。
AppleのCEOであるスティーブン・ジョブズが引退を発表しました。
僕のPCライフはアップル、と言うかマッキントッシュ抜きにはあり得なかったでしょう。
ペンシルベニア州の大学で建設管理を学ぶ事になる前の駐在員時代からIBMのPCで「123」とかの表計算ソフトは使っていましたけれど、ワープロも出来ず、ファイル管理なども全く分からず、「DOS」が何を意味するのかも知らない、コンピューター音痴でした。
自分のPCを買うこともなく、大学に入って、オリエンテーションの時にPCルームとかで試しにIBMクローンのPCを使ってみて、1台購入しようかと思っていた時に出会ったのがマッキントッシュSEでした。
写真のようにハードディスク無しで、FDDが二つ付いていて、ファイルによっては2枚のフロッピーを出し入れしなくてはならないと言う、今では信じられないような状況でした。
しかし、その使いやすさ、所謂「WYSIWYG:What you see is what you get」つまり、画面で印刷状態を確認、編集できるというMS-DOSマシンでは想像できなかったことがこれでできたのです。
ただちに買うことにしました。学生割引で当時$2,200ぐらいしたでしょうか?
マッキントッシュに強く惹かれたのh、その設計、スタイル、機能もありますけれど、少数派が必ずしも弱者では無い事、大きな組織が必ずしも賢いとは限らないこと、他人とは異なる自分を大事にすること、などの思想を感じ取ったからだったかもしれません。
最近のいろんな出来事を顧みると、若いころとても優秀だった人が、役所や大企業に入ると、段々と愚かとしか思えないようなことをしでかすのも、「個人は集団に溶け込むと愚かになる」と言う原則があるようにも感じます。
マックを手にしてからは、いろんな雑誌やクチコミで情報を集め、同じ大学に通っていた日本人を中心にユーザー間の情報交換の場をつくったりしていました。
このマックで、ワープロ、作図、スプレッド・シート、工程表作成、HyperCardを使ったファイリング、更にはCompuServeを使ったパソコン通信まで手を広げました。
モデムを使ってCompuServeにアクセスして、ノイズ音の後にマックの画面にテキストが流れ始めた時の喜びは、それはそれは大きなものでした。
しばらくすると、親しい日本人からも、アメリカ人のクラスメートや学部生からも、マックに関してはある程度の「知恵袋」であると認められ始めていました。
まだまだ話は続きますが、また次の機会に。
僕のPCライフはアップル、と言うかマッキントッシュ抜きにはあり得なかったでしょう。
ペンシルベニア州の大学で建設管理を学ぶ事になる前の駐在員時代からIBMのPCで「123」とかの表計算ソフトは使っていましたけれど、ワープロも出来ず、ファイル管理なども全く分からず、「DOS」が何を意味するのかも知らない、コンピューター音痴でした。
自分のPCを買うこともなく、大学に入って、オリエンテーションの時にPCルームとかで試しにIBMクローンのPCを使ってみて、1台購入しようかと思っていた時に出会ったのがマッキントッシュSEでした。
写真のようにハードディスク無しで、FDDが二つ付いていて、ファイルによっては2枚のフロッピーを出し入れしなくてはならないと言う、今では信じられないような状況でした。
しかし、その使いやすさ、所謂「WYSIWYG:What you see is what you get」つまり、画面で印刷状態を確認、編集できるというMS-DOSマシンでは想像できなかったことがこれでできたのです。
ただちに買うことにしました。学生割引で当時$2,200ぐらいしたでしょうか?
マッキントッシュに強く惹かれたのh、その設計、スタイル、機能もありますけれど、少数派が必ずしも弱者では無い事、大きな組織が必ずしも賢いとは限らないこと、他人とは異なる自分を大事にすること、などの思想を感じ取ったからだったかもしれません。
最近のいろんな出来事を顧みると、若いころとても優秀だった人が、役所や大企業に入ると、段々と愚かとしか思えないようなことをしでかすのも、「個人は集団に溶け込むと愚かになる」と言う原則があるようにも感じます。
マックを手にしてからは、いろんな雑誌やクチコミで情報を集め、同じ大学に通っていた日本人を中心にユーザー間の情報交換の場をつくったりしていました。
このマックで、ワープロ、作図、スプレッド・シート、工程表作成、HyperCardを使ったファイリング、更にはCompuServeを使ったパソコン通信まで手を広げました。
モデムを使ってCompuServeにアクセスして、ノイズ音の後にマックの画面にテキストが流れ始めた時の喜びは、それはそれは大きなものでした。
しばらくすると、親しい日本人からも、アメリカ人のクラスメートや学部生からも、マックに関してはある程度の「知恵袋」であると認められ始めていました。
まだまだ話は続きますが、また次の機会に。