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Taka

Author:Taka
旧ブログ「Infinite Harmonics」から引越してきました。

ギターや日常生活、腎臓機能保存の食事療法(現在の制限は1日あたり、タンパク質30g、塩分6g、カロリー1800kcalです)についての独り言を中心テーマにしています。2012年、IgA腎症と診断され、扁摘パルス治療実施。現在保存期。

拙いギター演奏をYouTubeにて公開してます。

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都知事選、美味しんぼ騒動、そして報ステに見る日本のリベラルの停滞

先週の金曜日の夜の報道ステーションでの古館氏と古賀氏のやり取りがネットで話題になったことをご存知の方もいるでしょう。ただ、これも主要メディア(テレビ・大手新聞)ではほとんど出ていないかな?(最近テレビのニュースは出来るだけ見ないようにしています。精神衛生上よくないから)

「報道ステーションで古賀茂明がI AM NOT ABE 人道支援?」
https://youtu.be/7F-btC9xlZU

古館氏、古賀氏、それぞれに対する、賛同(?)と批判がツイッターで見られました。その中で、古賀氏の取った行動を批判するコメントに対して否定的、ややもすると攻撃的な意見を出す人が、いわゆる「左翼」と称される人たちから出されているのが目につきました。

僕は「左翼」とか「右翼」とか言う、カテゴリー化は苦手です。むしろ、これまた定義をしづらい言葉ではあるのですが、出来るだけ「リベラル」と言う概念を持って物事を見るようにとの思いを持っています。

「左翼」にも「右翼」にもリベラルが存在しえて、同時に反リベラリズムも存在するでしょう。過去の事象や成り行きにこだわり、共通の目的に向かって協力し合えない日本の「左翼」勢力は、リベラルとは言い難い、と言うのが私の主張でもあります。

報ステの騒動についても「古賀氏への批判=安倍首相や官房長官のメディアへの圧力の是認」と捉える人たちが、所謂「左翼」と言われる人たちの中に見られました。古賀氏やそれに対する古館氏(もともとこの男は好きではないが)の対応に対する批判や同意も自由意志の下に許されるべきであり、それをもって、官邸からの圧力の是認・抵抗とは直接的に関係づけるものではないと感じます。

政治からメディアへの懐柔・圧力が存在することは、大手メディアの幹部がしょっちゅう首相と会食をしたり、記者クラブのような情報アウトレットを大手報道機関が固守する異常な状況から容易に想像できます。

そして、自主規制と言う環境の下で政府側は「圧力をかけた事実はない」と言い張れますし、腰抜けとなった報道機関はそれを否定する力はないということも容易に想像できます。

そういう事実認定が難しいメディア統制に対抗する上で、政府を批判する人たちの中に「我こそが真正左翼なり」と言ったかつての内ゲバ意識があるとすれば、なんと進歩のないことかと感じます。

昨年の都事選における細川陣営と宇都宮陣営の対立や漫画『美味しんぼ』での記述にまつわる対立などを見ていても、本来立ち向かうべき相手を見失い、自分の主張の正当性をひたすら突き通そうとする姿勢が、その対立の中に見え隠れしています。

自分と異なる意見や考え方を持つという理由だけで相手を否定・攻撃する姿勢は少なくともリベラルではないと思います。

まだまだ今の社会を変える動きは出てこないのでしょうね。残念ですが、それこそがこの国の人たちの多くが望んでいることのようなので仕方ありませんね。
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お花見

南町田の公園にお花見に来ました。春休みで子供連れが多いです。

僕はお酒抜きですが、年配の4人組がお酒を飲みつつ、楽しそうにお花見中です。



最近は仕事も無く(依頼が来ても、無理な内容や納期なので断ってます)、随分とヒマなのです。f^_^;

日本の歴史をもう一度勉強してます

以前FBではちらっとMentionしたのだけど、昨年の夏、通訳案内士を初めて受験しました。

通訳案内士試験概要

翻訳業と言う看板も最近は本当に「看板だけ」になりつつあり、対して長くはないけれど、将来的に何らかの「生業」を残しておくには、割と手頃かな、と思ったことが理由の一つです。

きっかけは、近くの大学の公開講座で受講した英会話教室で、年配の男性がこの資格を取った、と言うのを耳にしたことでした。

昨年はペーパー試験の地理、歴史、一般常識を受験し、地理と一般常識は合格しましたが、歴史が全く駄目でして、今年、もう一度歴史のみ再受験する予定です。これに合格すると冬に行われる英語での面接試験が受けられ、それに合格してやっと通訳案内士の資格が得られます。

今は、歴史の試験対策用教材(テキストおよび講義の録音)を何度かやりつつ、自分で購入した図書や資料を使って、暇なときに(たいていいつも暇なのですが)勉強しています。

自分が高校生のころは、日本の歴史と言っても試験科目の一つ、と言った意味合いが大きく、それほどの興味もなかったのですが、改めて専門家の解説を聞きながら、学びなおしてみると、それはそれは面白いものだと思うようになりました。

信長から家康の時代、明治維新のころ、明治から第二次世界大戦にかけての政治的な流れは特に興味を持ちました。ドラマや小説などで英雄視されたり美化されている歴史上の出来事や人物が、果たしてイメージ通りなのかどうかも再考できる機会でもありました。

その中で、戦争が起こっていく背景には、必ずキーマンと言われる人がいるのだけど、その人が戦争を起こす動機となっている中には「大衆」の存在がある事が見えてきます。

戦争は無謀なリーダーたちが起こすというよりも、戦争を潜在的に望む大衆の「雰囲気」が起こすのではないかと、歴史を学びながら考える最近です。

今年は「歴史」一本なので、多分合格できるとは思うですけど、英語の面接に合格しないと、来年はまたまた「地理」と「一般常識」を受けなおさなけらばならなくなるので、挫折してしまいそうです。いろんな意味で今年が最後の、そしてベスト・チャンスと考えています。

曽野綾子 ~ 無知なる上の開き直り


僕は最近、テレビのニュースはあまり見ないようにしているので、実際どの程度報道されているのか(いないのか)知らないけれど、曽野綾子氏が産経新聞に掲載したコラムについて備忘録的に書いておこうと思います。

背景情報はこちら。

曽野綾子氏の産経コラムに抗議相次ぐ

荻上チキによるインタビュー
2015年02月17日(火)「曽野綾子氏のコラムが波紋、改めて考えるアパルトヘイト」(直撃モード)

その書き起こし

この事を知った時から僕には思い出される、アメリカでの一つの経験があります。

それは、メジャー・リーグのドジャーズのゼネラル・マネジャーを務め、「ドジャース戦法」と言われるものを生み出したアル・キャンパニスと言うアメリカ人です。
(以下「アル・キャンパニス - Wikipedia」より引用)

彼は1987年4月6日にABCニュースの番組『ナイトライン』において、プロスポーツにおける黒人管理職の少なさについてのテーマで「黒人は監督やGMになるのに必要な資質が幾つか欠けているかもしれない」という意味の発言をしました。

当時の一般的常識からしてもこの発言はとても信じられないもので、当時の番組司会者(テッド・コッペル)は何度かその真意を確認しようとしましたが、話せば話すほど「黒人は浮力を持たないために良い泳ぎが出来ない」などと、更に状況を悪くする発言を繰り返したのです。

彼に対する批判は全米に広がり、翌7日にキャンパニスは謝罪を表明しましたけれど、ゼネラル・マネジャーを辞任し、ドジャース一筋の野球人生から姿を消しました。

この時、彼の同僚や友人たちにはトミー・ラソーダを始め、著名人が数多くいましたが、誰ひとり彼を人種差別者と思ったこともなく、そのようなふるまいを見たこともないと言っていて、一様に驚きと落胆を隠せませんでした。

その中の一人が、「彼はとてもかわいそうな人だ。いまだに自分の発言のどこがいけなかったのかが本当に理解できていない。」と言っていたのをかすかに覚えています。

僕はアル・キャンパニスはいわゆる「いい人」だったと思います。多分、個人的に付き合えば、白人だろうが、黒人だろうが、失礼な態度をとる、分かりやすい人種差別主義者ではなかっただろうと思います。

ただ、その裏には「純粋無垢」ともいえる「無知」があったと思います。自身も移民であったアル・キャンパニスには移民ゆえの苦労や差別も経験したにもかかわらず、人種差別に対する社会的なムーブメントに対する配慮や学習が完全に欠落していたのではないでしょうか?

荻上チキ氏による曽野綾子のインタビューを聞いて感じた違和感が、このアル・キャンパニスの話と妙に結びつきます。彼女の場合はお歳のせいかもしれませんが、話にかなり不自然な展開も見られます。

このお二人、どちらにも「私が人種差別するような人間であるはずがない」と言った思いがあると思います。そして彼らの頭の中には「人には人種差別する人間としない人間の二種類がある。自分は後者である」と言う単純な思い込みがあるのではないでしょうか?

人は、ごく少数の人を除いて、差別する意識と姿勢を多かれ少なかれ持っていると思います。その潜在意識を認めて、時折でもいいから自己診断をする人はアル・キャンパニスや曽野綾子のような発言はしないのではないでしょうか?

「差別」を「区別」と言い換える「癖」がこのような人たち、そしてそれを支持する人たちに見受けられます。基本的に考えて、人間を、その人の責任や力の及ばない属性で、最初から区別すると言うこと自体、おかしいと思いませんか?

人はその人の行動、発言、行為・不行為によって評価され、人に好かれたり、嫌われたりするし、それが法に触れる事であれば裁判にかけられます。しかし、それは評価・裁定であり、区別ではなく、ましてや人種、国籍などに一般化されるものでもありません。

そんなことすらもわからない人が主要メディアで堂々と発言すること自体、僕には信じられない事です。

更に進んで、差別のどこが悪いのか、と開き直る人もいます。差別の裏側には権力や富を持つ者が、その地位と資産を不当な手段を使ってでも守ろうとする意思が働いています。結構資本主義と相性のいい考え方です。

それは人と人との間にくさびを打ち込み、争いの種を作り、その争いで利益を上げようとする者たち(軍事・セキュリティ産業ですね)を更に潤わせるメカニズムを作ります。

単純に言えば、世の中の戦争と言うものは差別と資本主義で成り立っていると言っても過言ではないのではないでしょうか?

戦争に反対する立場であれば自然と差別にも厳しい目を向けることになり、戦争やむなしと思う人は差別もやむなしと思う傾向があるのでは?

武力行使云々の前に「独立国家」の条件を満たせ。

ここのところ、ニュースを見るのが嫌で仕方がない。

ジャーナリズムの失われた大手メディア。

数の力で何でもありの政治と経済。

そして、憲法が限られた特権階級の人間の解釈でどうにでも変えられる現実。

この国はどんどんひどい状況になっていっている気がする。

一体、この国の権益と安全を脅かしているのは「誰」なのか、冷静に考えてみてはどうか?

今、日本の産業、特に第一次産業を脅かしているのどの国か?そこにアメリカが入っている可能性はあるだろう。

今、日本の医療システムを脅かしているのはどの国か?中国や北朝鮮ではない。

今までに沖縄で日本人を傷つけたり死に至らしめた経験のある国はどの国なのか?アメリカではないのか?

今、日本国内に基地を持っていて、騒音や治安に不安をもたらしている張本人は誰か?アメリカではないのか?

つまり、日本はアメリカに対して、日本の国益、国民の安全を守ることができて初めて「独立国」の資格ができる。

アメリカに押し付けられた憲法がどうのこうの言う前に、アメリカの基地をすべて日本からなくしてしまえ。そこから初めて武力行使を議論できるはずだ。

今の武力行使の議論は、単にアメリカの兵士の死者数の一部を日本の若者の死者数で置き換える議論でしかない。

あからさまな属国扱いである。それでいいのか?