プロフィール

Taka

Author:Taka
旧ブログ「Infinite Harmonics」から引越してきました。

ギターや日常生活、腎臓機能保存の食事療法(現在の制限は1日あたり、タンパク質30g、塩分6g、カロリー1800kcalです)についての独り言を中心テーマにしています。2012年、IgA腎症と診断され、扁摘パルス治療実施。現在保存期。

拙いギター演奏をYouTubeにて公開してます。

Facebook: https://m.facebook.com/dilbert4216

最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

久しぶりレッスン & 「名目」の多い飲み会

昨日は今年初めての江部先生のレッスン。

江部先生アレンジの曲をつらつらと弾いて、弾き終わると二人して「いいアレンジだよねぇ~」「いい曲だよねぇ~」とか言って、いろいろと駄弁って1時間のレッスンはあっという間に終了。

もう、余り上達とか変化とか期待しない僕だけど、江部先生のアレンジの良さだけは一人でも多くの人に伝えていきたいと思います。

若いころからお世話になった先生の楽譜は本当に僕の人生に欠かせないものだったから。

で、僕の後に来たKanaiさんのレッスンが終わってから近くの居酒屋でいつもの飲み会(笑)。

昨日は江部先生の60歳の誕生日(30日)と今は遠い南米の空の下にいるOgarinさんの??歳の誕生日(28日)の間をとった「合同誕生日会」、江部先生の還暦の誕生日のお祝い、Kanaiさんのフィンガー・ピッキング・コンテスト落選お慰め会(?)、そして新年会と、まぁやたら「名目」の多い飲み会でした。

還暦を迎えられた江部先生を囲む、江部教室の生徒主体のパーティを企画することにしました。まずは会場探しですが、いい会場が見つかれば、今度はそこを足掛かり(?)に江部先生やKanaiさんのようなソロ・ギタリスト、小編成のユニットなどがオープンマイクのできる場所も探せたら、と言う期待を持っています。

どこまでできるかわかりませんが、大好きな江部先生やKanaiさんとボチボチ、お酒を飲みながら楽しんでいけたらと願っています。

しかし、昨日、居酒屋で酔っぱらって繰り広げた、僕とKanaiさんによる「二人のオカマによる即興漫才」には江部先生も目を丸くしていました(汗)
スポンサーサイト

(ほぼ)リアルタイムの旅行記

ボサノバの相方と言うより今や単なる「飲み友」となったOgarinさんが南米をスタートとする長期間の旅に出ました。

こちらのブログで旅行記を不定期にアップしています。

・・・風の吹くまま気の向くまま 地球ふらふら編・・

楽しい事ばかりでもない節約旅行を一緒に味わってみませんか?

毎度毎度、食事の支度をするのも結構大変なんだ

今日はいつもの腎臓ではない科目での診察を受けてきました。

薬の処方の説明で、厚労省が結構、恣意的に薬の認可のスピードや使用条件を決めているのがわかったりして、やっぱり厚労省の役人が権力の側についていることがよく分かりました。

昨日のニュースで、JR東日本に対して視覚障がい者の団体が、ホームからの転落を防ぐ対策を要請したとの報道が出されていました。

駅員の配置とか、最近いくつかの駅でみられるような障壁の設置を具体的に求めているものでした。

確かに、そういったハードやソフトの面での対策は必要かもしれないけれど、もっと大きな問題は、ほぼ常時、乗降客がいる首都圏の駅のホームで、人たちは目の見えない人に対して結構無関心でいる事じゃないかと思う。

僕だって、白杖を持って歩いている人とすれ違うことはよくあるけれど、よほど困っているように見えない限り、自分からヘルプを申し出ることはない。どのレベルでヘルプを申し出ればいいのかを考えている時点で、もう後ろ向きではないかと思う。

「お手伝いしましょうか?」の一言がなかなか言えないでいる。実際に役に立てるかどうかよりも、そういう風に声をかける、声を掛け合うことが一番大事なことじゃないかと思う。

僕たちは、何か問題を目の前にした時、往々にして「ソフトとしての法律や規制」と「ハードとしての施設・設備」が解決策と思うことがあるけれど、そういうものがあると、人は問題の解決は対して自分の責任では無いと思ってしまい、本当に困っている人たちから心が離れて行ってしまうのではないか。

介護とか人口の老齢化、子供に対する虐待、待機児童の問題、こう言ったことは、ソフトやハードの前に「人の心」が駆動力にならなければ本質的に解決はしない。

少しでも心のある行動パターンを身に着けていかなければ、どんなに豊かな社会も、その豊かさは形だけのものになり、心が滅びるにつれ、いずれ滅びるものなんじゃないだろうか。

「勝ち組」って「負け組」よりも弱いのかも…

今日の午後、久米宏のラジオを聴いていたらメール投稿で、

「同窓会で『勝ち組』と『負け組』で部屋を分けてやってみたら、『負け組』の部屋が異常に賑やかで明るかった」

と言うのがあった。まぁ、脚色もあるし、「負け組」グループの意地もあったのかもしれないが、どう見ても勝ち組なのに、負け組から見ても、そう幸せそうに見えない人が往々にしていたりする。

折角、立派な学歴、経歴、両親、そしてきれいな奥さん、元気でかわいい子供、おまけに高収入、全部そろっているのに何だか可哀そうな人がいたりするのが現実だ。

こういう人が幸せになれないのには「立派な両親」と「かわいい奥さん」が原因の事が結構ある。

「立派な両親」も「かわいい奥さん」もいない僕は(でも「元気ですねかじりの娘」はいる)、それなりに有利な立場にあるのかもしれないが、なんせ病気持ち、低収入、在日外国人、などなど余計な要素も多いのが難点である。


人が幸せになれない理由の一つに「自分が今持っている大事なものを失うことへの恐怖」があるのだと思う。

お金とか財産とかも、時間とともに、あるいは偶然のいたずらでなくなってしまうこともある。

大事な人も自分を捨てて去っていくこともある。

健康すらも自分の思うがままにならない。

考えてみれば、生きる事って、こういう恐怖と向き合っていくことなのかもしれない。

それじゃあ、人は幸せになれないのか、っていうとそうでも無い。

僕にだって財産やお金、住むところがなくなる恐怖はあるし、自分が大事にしたい人だって永遠に自分と共にいる事もない。

健康はもう帰ってこない。

それでも、今、自分を結構幸せだと思う僕は単に「楽観的」でも「人生をあきらめた」訳でもないと思う。

僕をずっと心にとどめて、時々思い出してくれる人がいてくれること。少なくともそういう人が一人はいてくれること。

それを実感することができるだけで、人は不幸にならずに済むのかもしれない。

それが一人であろうと1万人であろうと、僕にとって大きな差はない。

だから、無理をしてまで、人に好かれようなどとは決して思わない。

(追記)多分、これを読んだ人の中には「無理をして人に嫌われようとしているのかと思った」と思っている人がいるはずである。

活動一時休止します

いやいや、そんな大げさな話じゃないです。

約1年前から、だいたい月1回のペースでやっていたOgarinさんのボサノバ・ヴォーカルのギター伴奏の練習が、Ogarinさんの海外旅行のため、半年程度休止することになり、今日が最後の練習でした。

人に合わせる事がもともと苦手で、歌の伴奏も得意ではなく、ましてやリズムに乗るのが割と難しいボサノバだったこともあり、練習を始めたころは「どうなることやら」と言う感じでした。

何とか、ここまで続けてこれたのはOgarinさんの忍耐強さなのか、二人とも友達が少ないせいなのか…(汗)

それでも最近は、何とかリズムを外さないテイクも出てくるようになりました。

いつかは、どこかのステージで披露することを夢見ているのですが、かなり先のことになるでしょう。それでも長く続けていれば、そういう日も来るんじゃないかとほのかな期待を持ちつつ練習をしてきました。

これからしばらくは個別の練習になりますけれど、ここまで経験したことをゼロにしない程度に、ユルユル感を大事にしつつ、活動再開の時を待つことにしましょう。

仕事あり、遊びあり、そして寒い…

加湿器、買いました。喉の痛み方が全然違いますね。もっと早く買うべきだった。

今年の冬は寒い、寒いと聞きます。確かに寒い。だけど、やたらうるさいだけであまり性能の良くないエアコンを新品に変え、夏蒲団よりも薄くなった羽根布団を処分して二枚重ねの羽根布団にして、加湿器をそろえた今年の冬は前回の冬より過ごしやすくなったのは確かのようです。

バタバタしていて、金曜日はいつもの掃除もできませんでした。部屋も台所も散らかってます。

明日、明後日は少し気を入れて掃除と片づけをしないと…

外食も増えて、食事の管理もしっかりしないと…

まだまだ頑張らないといけない残りの人生。焦らず歩いて行こう。

一緒に歩いてくれる人がきっといるはずだから。

「数字」に踊らされ続ける

「数字」自体には何も実体がない。だけど数字に実体があるかのように僕たちはふるまう傾向がある。

数字で表される成績、財産、成功や失敗、幸せや不幸せ。

世の中は数字では表現できないことばかりなのに、何故か数字が決め手になる。

仮に「富士山に1,000回登った」と言っている人を、いったい僕たちはどう評価すればいいんだろうか?

「たいしたもんですね」とほめるのか、「暇ですね」とスルーするのか、あるいは「そんなことをする暇があったら、もっと社会の役に立つことをしたらどうなんだ」とコメントするのか。

「僕には年賀状が300枚届いた」「私は年賀状を620枚書いた(印刷した?)」と言う話を聞くと、正直なところ、内心(顔に出てるかもしれないが)「チッ」と僕は舌打ちをしてしまう。

これは年賀状が数枚しか来ない「友達少ない人間」であるばかりか、「心の小さい人間」であることも立派に証明している。だからたぶん年賀状も少ないのだろう。いや、年賀状の数なんかどうでもいいと口では言ってるのに、心でひがんでいるのは、とてもとてもみっともない。

たくさんの人にできるだけ多くの幸せを与えたい、と思って、それを実践している人もいる。その人は、一人でも多くの人が、その人が与える何かで幸せを得ることを望んでいるのだと思う。

それはとてもいいことだと思う。時折、「宗教勧誘」みたいになってしまうこともあるのだろうけど、それ自体悪いことではないと思う。

僕は「心が小さい」だからか、たくさんの人を幸せになんてしようとも、できるとも思わない。だから、たくさんの人から好かれたり、友達になってもらうなども期待しない、と言うかできない。

自分の近くにいる、一人、そしてまた一人を大切にできるかどうかが、もっと大きな関心事だ。

話も、行動も、音楽も、すべてが、その限られた数の一人一人に向けて、全力で出せるかどうかが、僕にとっての大きな課題なんだと思う。

例えそれが小さな小さな思いであっても、その「僕が選んだ人たち」に届くことがあれば満足してしかるべきであろう。

忙しいわけでもないのに落着けない今日この頃…でも充実?

すみません、相変わらず意味不明のタイトルです。

風邪は徐々に良くなりつつあります。葛根湯だけが頼みの綱です(笑)

年が明けてから3月ぐらいまでは毎年、日本の確定申告、アメリカの連邦税の申告・納税と、あまり楽しくないイベントが続くので、1年でも「暗くて寒い」時期です。

昨年までにアメリカの銀行口座はおおかた整理したので、少しは負担が減っているといいのですが…

もう2か月もすると「花見」が話題になり始めるころになります。昨年は、「花見してる身分でも状況でもないよね」と思っていたのか、どうか、これと言った思い出はありません。

あぁ、そういえば、あの頃はまだ、例の件(?)で悶々としてたんだっけ?

吹っ切れたよねぇ…思いもかけないタイミングで…

一つの終わりが別の始まりを生んだわけではなかったけれど、心に「けり」をつけた事は、プラスかマイナスの方向かは別として一歩足を踏み出したことに間違いはないでしょう。

まだ仕事中…

風邪はだいぶ収まってきました。昨日は鼻の下がティッシュで擦れてヒリヒリしていました(汗)

今日までに進めておかないと、と思っている作業がまだ終わりません。

後、1時間やったら、とりあえず終了します。

これも「お勉強」の一つと思ってやれば… やっぱり辛い…

鼻水が止まりません

熱はないし、咳もだいぶ収まったけど…
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。