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Taka

Author:Taka
旧ブログ「Infinite Harmonics」から引越してきました。

ギターや日常生活、腎臓機能保存の食事療法(現在の制限は1日あたり、タンパク質30g、塩分6g、カロリー1800kcalです)についての独り言を中心テーマにしています。2012年、IgA腎症と診断され、扁摘パルス治療実施。現在保存期。

拙いギター演奏をYouTubeにて公開してます。

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お金のある人は痛みを共有する覚悟を持ちなさい。

この国を救いたいと思うなら。

3月の初めの時点での大学4年生の内定率が80%程度とのこと。卒業生を対象にした合同面接会場の様子がニュースで流れていたけれど、学生の表情は、追い詰められている気持がそのまま出ていて、痛ましいほどだった。

自分の娘も、紙一重の差で、その場に行かずに済んだとはいえ、昨今の新卒者の離職率も高いようで、20代の若者を置き去りにしていく社会の現実が見えてくる。

面接会場に来ている学生は、確かに気が弱そうな表情を見せているけれど、どの子も優しそうな、まじめそうな、愛すべき人間であると思う。

大した仕事もせずに、ただ、単に役割上の機能を機械的に果たすだけで高給を取っている企業の幹部社員や天下りがいる一方で、こういう若者たちが辛い目に合うのを見ていると腹が立つ。

政府は「若者の雇用を伸ばさなければいけない」などと言う一方で、年金支払い年齢を上げるのに併せて、企業に定年の延長を押し付けている。そんなことするから余計若者が正規社員になる道が無くなることぐらい誰だってわかる。

消費税を10%まで上げたところで、腐りきったこの国の台所は改善しないと感じる。

働いてもいないのに、年金やら貯蓄やらで、旅行したり、デパートの物産展なんかに出歩いてる老人たちよ、働かないなら、それなりの質素な生活をすることを受入れたらどうかと思う。

今の年金制度がどれだけ国の財政を苦しくしているか、よく自覚すべきだと思う。

いっそ年金なんかなくしてしまって、その分、生活保障システムを充実させたらどうかと思う。

もう、悠々自適の老後なんか誰も期待してはいけない。

老人たちは、今、働くことが出来ずに苦しい生活を強いられている若い世代をよく見てみろ。お前たちが残した負の遺産は彼らの背中に重くのしかかっている。

企業は55歳定年にして、退職者は、若い世代と同じ労働市場で勝負してみれば、自分がどれだけ能力に見合わない給料をもらっていたか分かる奴も大勢いるだろう。

重ねて言うが、世代間格差や生活格差に目を向けずに、消費税10%でこれだけぎゃあぎゃあ騒いでいる社会に未来は無い。
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「富の再分配」が大事なのではなくて…

「資源と機会の共有」が大事なんだと思う。

「富の再分配」はシステムとして機能させる必要があり、それは一種の強制力。「持てる者」にしてみれば「自分の資産をむしり取られる」思いがあったとしても不思議ではない。

そこには自分より恵まれないグループが存在することが前提であり、不遇な状況は「自己責任」で処理する傾向がある。

しかしながら、社会に「恵まれた人」と「恵まれない人」が同時に存在し、その格差が広がっていけば、その社会は格差の拡大に伴って、大きな歪を内部発生させ、結果として「恵まれた人」たちのコミュニティをも浸食する。

今、アメリカでは医療保険制度に関して政府が法律で保険加入を義務付けることが憲法違反であるかどうかが最高裁判所で審議されている。

この法律に強く反対しているのが、共和党、並びにティー・パーティを中心とする保守派層である。

オバマ・ケアと呼ばれるこの法律は、民間医療保険しかないアメリカでは初めての試みで、法案自体に様々な問題は抱えていると思うが、現在のアメリカの医療制度がここまで酷いものになったのが、保険会社の利益第一主義であることが明白な事からも、医療サービスを基本的権利とするための制度的な仕組みは作られるべきだと思っている。

アンケート調査では60%を超える割合の人達がこの法案に反対しているようだが、この数字はおおよそ白人有権者の割合と附合しているのではないかと感じる。

ティー・パーティのデモ行進を見ていると分かるが、彼らはほとんどが白人、そしてややオーバーウェイトの人達が目に付く。典型的な白人中産階級で、その仕事がマイノリティや海外の国に取られてしまうことを恐れたり、少ない収入から税金を払ってまで貧困層を助けたくない、と感じているグループではないかと感じる。

彼らがマイノリティ、中でも黒人グループを助けたくないと思う理由はいろいろあるのかもしれないが、彼らがマイノリティを見捨てることは、近い将来、彼ら自身が、彼らを下に見る富裕層から見捨てられることになる事は考えておいた方がいい。

ティー・パーティは他国への支援や難民救済など一切興味が無い。自分の家をまずきれいにしておこう、と言うことなのだろうけど、その姿勢は、自分の家の中にも「塀」を作って、閉じこもろうとする。その結果、自分の知らない世界がドンドン増えて行くことに気づかないでいる。これは怖いことだと思う。

「資源と機会の共有」は「共存」の考えに根ざしている。例えどんなに嫌いな相手でも、相手の存在を否定することをしない、生命の危機を与えない、と言う基本的理念さえあれば、「富の再分配」などと言うメカニズムは不要であろう。

全ての人を愛しなさい、等とは決して言わない。しかし、危険や病気、飢えに恐れることの無い生活を送ることは、全ての人が望む権利があるならば、恵まれない人たちへ、どんな小さなことでもいいから手を差し伸べようと思うのではないだろうか。

例え、何の力になれなくても、少なくとも邪魔だけはしないでほしいと思う。

幸せに浮かれることなく、そして不幸せに失望することなく

そういう人生も悪くない。自分にそれが出来れば、と言う仮定の話だけど。


明日は娘の大学の卒業式。アメリカに家族を置いて一人で日本に戻ったり、安定した収入の仕事を捨てて貯蓄を切り崩すような生活に入ったり、家を出てしまい、最後には離婚までして、その他にも諸々、愛想を尽かされることばかりしてきた父親なので、卒業式にも来て欲しくない、と言われるのも覚悟していたけど、一応、行ってもよさそうです。

マンモス大学なので、うまく見つけられるかどうか心配ですけど。

心配は尽きないけれど、いつまでも寄り添って生きて行けるわけでもないし、かと言って、突き放すことが出来るわけでもない。

いつも娘に言い聞かせてきたことは、そのまま僕自身が実践していかなければならないことと分かりつつ口にしていた事ばかりのような気がする。さぞかし「お前が言うのか?」と彼女も思っていただろう。

ロスアンジェルスの日本語補習校での入学式の写真を見ていたら、やっぱり泣けてきたね。(笑)これじゃあ、結婚式とかなったらどうなるんだろ?あ、呼んでもらえるかどうか分からんのだが…


最近、食欲があるのはいいのだけど、どうもタンパク質が目標の30g/日を超えている日が多い気がする。肉類は抑えているのだけど、野菜とか調味料とか、結構なたんぱく質が含まれていたりする。

もやしとか結構スカスカな気がしているけど、100gあたりのたんぱく質の量は野菜の中でも高い方だなんてことも最近まで知らなかったりする。

まぁ、娘も何とか大学卒業できたから、もう、粗大ごみの回収に出して処分されても仕方のない人生だから、それほどくよくよすることは無いのかもしれないけど…やっぱりくよくよする。 だって人間だもの。(笑)


ギターをちゃんと弾かなくなって、もう半年近く。以前弾いていた曲も弾けなくなってきて、4月2日のバックインタウンに出るにも弾く曲が無い。

ギターを弾くほどには気持ちが落ち着いていないのだろうか?単なる怠け癖か?

怠け癖ですね。

思うに・・・

がれきや焼却灰、食品、水、様々なものに関して放射能の「安全基準」が作られている。それらを測定して「基準値」以下なら安全だとして、各地で処理、排気、市場流通を図ろうとしている。

つまり、突き詰めて考えれば、使用済燃料の処理も「薄める」ことができるなら、日本全国、どこへでも、あるいは海洋投棄すら出来るという事になりはしないのか?

基本的考え方である、「凝縮」&「封じ込め」とは正反対の行動をとっているように思える。「安全基準」は、今後、既成事実として、様々な形の放射能汚染廃棄物の処理に行かされていくだろう。

安易で、その場しのぎの対応でしかない。後世にツケを回す事が大好きな僕たちにぴったりの方針である。


ところで、だれも(主にジャーナリストを代表すると自負する大手ニュースメディア)野田首相の豹変ぶりと言うか、ああまで原発推進になった理由を追及しないのは、やはりこの国には、ジャーナリズムが存在しないゆえであろうか?


もう一つ、最近気になったこと。



かなり以前の話だが、日本人留学生が射殺された事件を思い出す。

黒人が銃を撃った側であったなら、違った流れになったであろうと、自然に考えてしまうことが出来るぐらいには、アメリカでは人種によって、正義は違った意味合いを持つ。それは、この国でも同じだろう。否、同じ人種なのに差別しあう、日本、中国、韓国の人たちは更に困った存在であろう。

放射能はどこへ行くのか?

東日本大震災から1年たった日曜日は、どこのチャンネルも震災記念番組だらけで、テレビ東京だけが(例によって、快挙ともいえる)、昼下がりに2時間ドラマの再放送を流して、この時間帯で2番目の視聴率を稼いだという。

1年たっても進まない「がれき処理」がよく取り上げられている。

しかし、がれき関連のニュースを聞いているとイライラする。もう、何か月も前から問題になっていることを誰も公には語ろうとしないみたいだから。

放射能汚染されたがれきに話を絞ると、放射能は時間がたたないことには消えない。

例えどんな低レベルの放射能しか検出されないとしても、それが濃縮されれば、その濃縮に反比例して汚染レベルは上がる。

山積みになったがれきの近くで放射線を測る、受入れ自治体の職員が放送で時々映されたりするが、そこで放射線が低いからと言って、焼却処理後の「形態」でどれだけ濃縮されるか分からないだろうに、と思う。

放射能は基本的に閉じ込めなくてはならないと思う。がれき処理のプロセスも、がれきから放射能が逃げ出さないように、これを濃縮しつつ、最終的には体積を大幅に下げて、最終処分場に移転しなければならないはずだ。

それが実行可能なら、どんどんやればいい。日本全国どこでもやればいい。

その技術的課題を議論せずに、「受入れに反対する人は冷たい」とか「子どもの安全が担保出来ない」とか、どちらにせよ感情論でしかない。

がれき処理に利権が働くからけしからん、とか言う意見もあるが、もうこの際、東電を丸裸にしたところで何10兆円と言うオーダーの税金が使われるのだ。多少の利権誘導は、災害地復興のためなら目をつぶってもいいだろう。


あれから1年たって、ショックから少し平静さを取り戻してきた日本は、いろいろな「人間の卑しさ」が表出し始めているように思う。

その程度の人間しか世の中にはいないというのも残念な話だけど、原発さえなかったなら、と思うのも正直なところだ。

自殺した酪農農家の人が死ぬ間際に書きなぐった「原発さえなかったら」の言葉のように。

いっそのこと汚染ガレキなんか、日本全国に撒き散らせ。

そうすれば、少しはフクシマの被害者の気持ちが分かるんじゃないのだろうか。

所詮、川の向こう岸から、野次馬よろしく、あーしろ、いやそーしろ、と騒ぎ立てているだけの人間じゃないのだろうか、僕たちは。

昨日と今日の10時からのNHK総合テレビは真剣に見てしまった。疲れた。

新潟県柏崎市は原発マネーが最も多く支払われているにもかかわらず、市の財政は赤字なんだって。

原発マネーは「ハコモノ」にしか使えないという事で(これもどーかと思うが)、採算性など度外視した公共施設をジャンジャン建てて(さぞかしゼネコンが潤ったのだろう)、それが年々赤字を垂れ流しているという。

どっかの博物館みたいなところは、維持管理費が年間収入の100倍とか、どれだけ思考回路を汚染させれば、そういう芸当ができるのか、失礼ながら笑ってしまった。

原発を誘致する自治体も、原発を推進する側も、「明るい未来」などと言う理念など見えない。あるのは自分の生活、自分の生きてる間の「金」だけだ。

原発反対側にも同じような奴らがいる。

青森県は電事連の寄付金は県全体の市町村に配分されるのだそうだ。一時期、原発建設反対運動が盛んだったころ、反対運動をしている人たちが県内の他の市町村から来ている人たちが多いことに気付いた電事連が、この青森県に限っては「カネ」を、全県規模でばら撒いたのである。

その後、原発関連施設は問題なく建てられてきている。

結局、カネか。

番組に出てくる、元村長とか、元市長、元役人、元官僚、元電力マン、何故か、ずいぶんと穏やかな顔をして話をしているのが、何だか気味が悪かった。

今日放送された、南相馬に残った(取り残された)人たちの顔と比べると、同じ日本人とはとても思えない。


原発やめますか?人間やめますか?

3.11に何をしますか?

僕は叔父さんのマンションのブラインド取り付けをすることになっています。

僕のような人間にしてみれば、もうとっくに震災前と変わらない日常が戻っている、と言っても構わないのでしょう。

実際、震災前と今とで、自分が何か変わったのか、と聞かれて、はっきりと何が変わったと言えない。

東電にしても、政府や役所のすることにしても、腹の立つことは多かった1年だけど、別に裏切られた、と言う思いがあるわけでもない。

人間、多少美味しい汁を吸える立場になれば、その立場を守るために、自分の理想とか、倫理とか、そういうものは「劣後」させて考えていい、と思うようになるのだとは分かっていた。

誰かの本に書いてあったように、「自分は~と言う役割を与えられて、こういう事をやったり言ったりしてるんであって、本当の自分とは違うんだ」みたいな言い訳と言うか正当化がされているのだから。

原発は再稼働してほしくないし、すべて廃炉にしていくべきだと思うが、既に原発を持った時点で「パンドラの箱」はあいてしまったのではないか。

あ、4号機、チョット強い地震が来たら、もうイッチョ「パンドラの箱」が空きますよね?

身勝手かも知れないが、いざとなったら僕も逃げるよ。

いつまでも変わらないこと。

昨日は雪は降るし、寒いし、一歩もアパートの部屋を出なかった。

一日中、ボーっとして、また非生産的な1日を過ごすことになりそうだったけど、幸か不幸か翻訳依頼が1件入った。

納期が明日までなので、昨日はそれに夜までかかりっきり。最近、原子力関連の翻訳やチェックはとんとご無沙汰。代わりに機械系、材料系の翻訳が増えている。

何とか明日の朝には納品できそうな進み具合だったが、もう1件、追加で翻訳が入り、珍しく、3週間続けて、小さい案件を抱えることになりました。


ツイッターやFacebookでは書いたけど、なかなか決まらなかった娘の就職が卒業前に何とか決まりました。決まった時は、娘の辛かった就職活動の出来事が思い出されて、涙ぐんでしまいました。

小さな印刷関連会社で、ホッとする余裕もないまま、今日から「インターン」期間に入り、満員電車に乗って都内まで通勤が始まりました。

小学校(アメリカ)、中学校ぐらいまでは、入学後の初めての登校日は、ちゃんと周りに打ち解けているだろうか、嫌な思いはしていないだろうか、などと気をもんでいたのを思い出しました。

さすがに高校や大学では、心配することは無かったけれど、社会人生活の実質的初日の今日、どんな思いでいるのか、気になっています。

いつまで勤めることになるのかはわからないし、これからもいろいろな新しい人生の門をくぐっていくのだろうけれど、その度に、こうやって、気をもむことになるのでしょうね。

それは親子である限り、時の流れで変化することも無く、いつまでも変わらないことなのでしょう。