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Taka

Author:Taka
旧ブログ「Infinite Harmonics」から引越してきました。

ギターや日常生活、腎臓機能保存の食事療法(現在の制限は1日あたり、タンパク質30g、塩分6g、カロリー1800kcalです)についての独り言を中心テーマにしています。2012年、IgA腎症と診断され、扁摘パルス治療実施。現在保存期。

拙いギター演奏をYouTubeにて公開してます。

Facebook: https://m.facebook.com/dilbert4216

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通院日でした ~ 「保存期」まだ維持しています

昨日は通院日。月の初めに食あたりを起こしたので、腎機能の数値が落ちているのでは・・・とビクビクしながらの検査でした。

クレアチニン: 1.72  前回:1.77  
BUN: 8  前回:10
尿酸値: 5.5  前回:6.1
たんぱく定性: -  前回: -
尿潜血: -  前回:±
カリウム: 3.9 前回: 4.5

クレアチニンもわずかながら下がり、尿潜血もやっと(-)になりました。なんとかこの状態を維持したいものです。

そして、昨日は、イタリアにお母さんと旅行に行っていたMihoちゃんも帰ってきて、夕食はちょっと(かなり)お酒を飲んでしまいました。(^_^;)
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「マイノリティ」の視点を持つことで想像力を働かせよう~Part 2

アベくんが日本のリーダー(らしき立場)になってから、結構威勢のいい言葉が出てきている。

いろんな言い方はあるけれど、ようするに今よりずっと簡単に「武力行使できる」「戦争に参加できる」国にしたいということなのだろう。

で、なぜそうしたいのか?

その理由1:アメリカという同盟国が攻撃された時、これを支援するための軍事的武力行使

じゃ、アメリカが不当に起こしたかもしれない軍事行動をとってもアメリカの側につくのか?国としての判断を放棄するのか?

残念なことに日本国内はアメリカ軍の基地があり、これは「アメリカの属国」と同じような意味を持つ。つまり、アメリカという国が正当な軍事行動をしているかどうかを客観的に、そして独立して判断できる基本条件を欠いている。

ウヨクの人たちはこの辺をどう思っているのだろうか?僕はアメリカ国籍であるけれど、自国内に他国の軍事施設があることなど、独立した民主的国家として到底容認できない。

軍事的武力行使をするかどうかを議論する前に、その行使を正当化するためのベースが国家として独立したものでなければならない。

つまり、「集団的自衛権」云々を議論する前に「米軍の国内からの退去」が前提であるべきではないか?

沖縄の問題も「県外移設」の前に「国外移設」が言われなければいけない。

それが独立した国家ではないか、右翼の諸君!弱体化した左翼なんかどうでもいいから、今こそ日本の右翼はアメリカ軍の日本からの完全な撤退を求めて活動したらいいと思う。そうして、ちゃんとした独立国家になってから憲法改正だろうが改悪だろうがやっても遅くはないだろう。


その理由2:中国や韓国との領土問題がエスカレートする可能性。

領土問題を武力で解決しよう、というわけだけど、そういう考え方が既に時代遅れではないか?

みんなが大好きな「資本主義」の国際的蔓延により、国境という地図の上に引いた線の意味がどれほどあるのか。国境を越えた人や資産の移動が日々進む中、一つの国が持つ「利益」は国境という線では境界付けできるわけもない。

尖閣諸島に限って言えば、線引きによって採掘資源の多い少ないが決まるから必死になっているのかもしれないが、欲しいモノがあれば交渉すればいい。それを軍事力で解決しようというのは第二次世界大戦前の帝国主義思想であり、教訓は「軍事的解決は歴史的に見て何も解決しない」ことがわかりきっているはずだ。

例えば、私の愛する大分県佐伯市が中国軍によって攻撃されたら(あそこを攻める意味がどこにあるのかわからないが、多分美味しいものがあるのだろう)それは防衛の意味があるかもしれない。だけど、だれも住んでいない、誰も利用してこなかった尖閣諸島に関連して死傷者が出たとしたら、それは「愚か」以外の何ものでもない。人の命をそんなことで粗末にしてはいけない。

残念なことに中国や韓国は第二次世界大戦前の発想から抜け出していないのかもしれない。だからと言って日本までが彼らのレベルに落ちてしまうことはないと思うのだが。

資源に関して言えば、以前にも書いた覚えがあるが、本質的に人間が地球資源を所有するということが納得できない。我々はそれを地球という生態系を維持可能な状態に保つことを条件に利用する特別な権利を与えられているに過ぎない。これは土地、水、空気の所有に関しても同じことが言えると思う。

そういう考え方に経てば、「資源のぶん取り合戦」がどれだけ滑稽で愚かしいものか見えてくるだろう。

僕のような人間を「反日」と言いいたいなら言えばいい。僕にしてみれば、税金を収めたくない一心で会社や財産を国外に移すやつの方がよっぽど「反日」だと思うが。

「マイノリティ」の視点を持つことで想像力を働かせよう~Part 1

僕はいろんな意味でマイノリティと言うカテゴリーに入ることができる。

日本では外国人として扱われ、国籍を持つアメリカでは人種的マイノリティとして、いいこと悪いこと含めてアジア人としての扱いを受けてきた。

IgA腎症という「難病」を抱える患者であることもそうだし、同年代の男性のライフスタイルと比べると、「少数派」に属していることも疑いない。

考え方も、どうも「マジョリティ」に反発する性格があるのか「マイノリティ」の傾向が強い。だから友達も少ない。

でもね、「マイノリティ」になって初めて見えてくる、いや「マイノリティ」にしかできない発想もあるのだと思う。

アベとかいう人が「経済成長最優先」を(回らない舌で)繰り返し言っているが、それって美味しいのか?いやいや、冗談はさて置き、「経済成長ってそんなに大事か?」と疑うのが「マイノリティ」の考えなのだ。

そうするといろいろ見えてくる。

「経済成長が人を幸せにするのか?」

経済大国と言われる国で真っ先に挙げられるのがアメリカと中国だろうけど、それらの国の人たちがどれだけ幸せに見える?

あなたの給料が上がる、と言われれば確かに嬉しいだろう。でも、そのどこが自分の「幸せ」とリンクするのか考えてみたことはあるのだろうか?いい服着て、いいもの食って、いい家に住んで、で、そのために週に60時間も80時間も働くことのどこが幸せなのか僕には分からない。

四六時中一緒にいても楽しい人(いや気にならない程度いいか(笑))と過ごす時間とか、自分の好きなことをする時間とか、困っている人に寄り添う行為とか、そういう大事な「時間」も大切じゃないのか?

いま日本だけでなく、いろんな場所で困っている人、苦しんでいる人がいる。それに手を差し伸べるのも「経済成長」してからだ、というのがアベくんの考えのようで、話の端々に震災被災者、原発事故被害者、困窮者を救うためにも経済成長が必要だ、と言い続けている。

震災被災者、原発事故被害者、困窮者の救済は「今、そこにある問題」なのに、その対処は「経済成長」が前提となっている。何を持って「経済成長」なのかもわからないし、実際にどんな救済をするのかも不明。

明らかに優先順位がおかしいよ。

問題はマジョリティの意見(マスメディアにより簡単に創造される)が「経済成長」に向かっていること。

「経済成長」のその向こうに何が見えているのか?

100年後の東北やフクシマはどうなっているべきなのか?100年後の生活保障・年金制度はどうなっているべきなのか?100年後の農林水産業・医療サービスはどうなっているべきなのか?

これらの問題を「経済成長」だけで解決しようとすると、とんでもない「経済規模」が必要になる。それはもう現実的でない。資本主義というメカニズムを除外した発想が必要だと思う。

「経済成長」というとても「ポジティブな」響きの言葉を使うのはやめてみたらどうか?

「資本主義推進政策の強化」とでもしてみたら、ほら、格差社会の進行が言葉の中によく見えるじゃないですか。

お金や価値の交換は人が生存する上で必要最小限必要なものである。それを「商品化」するのが株や証券、投資行為だろう。それらの商品は「生存」には本当は必要ないものではないのか?

幸せになるための条件などないと思うが、株や投資で設けて喜んでいる人は、自分ではどれだけ幸せと思っているかわからないが、全然羨ましくない、と言うかちょっと軽蔑する。

南三陸・女川の旅~地方に犠牲を強いる日本と言う国

たった2日間の旅で東北のことや被災地のことが理解できるわけもありませんが、災害に合われた方の生の声を聞けたことは、この旅の大きな収穫だったと思います。

僕は東京オリンピックには反対です。どんなに経済やらスポーツ振興のことを考えても、僕たちがきちんとけじめを付けるべき問題が忘れられたり、後回しにされたりすることがあってはならないと考えます。

まだ、仮設住宅に住んでいる人が多くいる中でオリンピックを開くというのは矛盾を感じます。
「オリンピックで元気を与えたい」とよく聞きますが、そんなことで元気になれる人はもともとオリンピックなど必要ない人がほとんどではないでしょうか?本当に元気になって欲しい人たちは今、仮設住宅から出るあてもなく、商売の再開のめども立たず、自分の蓄えを削って今後の人生を生きていかなくてはならない不安に包まれている人たちではないでしょうか。

オリンピックのための工事に使われるリソース(人、モノ、金)は、まず被災地の復興に回されるべきだと思います。今ですら、なかなか工事のための業者や機材が足りないと言われる被災地では、オリンピックで更に復興事業が遅れるのではないかと心配されている方もいます。

被災地の工事単価が他の公共事業の工事単価と変わらないなら、それは被災地の工事の方がコスト高になる可能性も高いし、東京で工事があれば、そちらへ仕事は集まるのは目に見えています。

被災地の工事入札条件、単価のみならず、復興住宅や商業地復旧のための制度的な見直しがされて、早く被災された人達に安定した日常が戻ることが本当に元気を与えることだと、なぜ誰も声だかに言わないのでしょう。

そういうことを言えない雰囲気になっている今の日本はとても危険な状態かもしれません。

もうひとつ感じているのは、この災害が東京で起こっていたら、ここまで問題が置き去りにされなかっただろうと言う感想です。

被災した東北が地方であったことが震災以上の不幸なのかもしれません。

水俣病しかり、沖縄問題しかり、いつも中央の政治家、官僚、企業は地方に犠牲をしいてきました。その事がこの国の大きな不幸の始まりだと言えます。

そういう地方に目を向けて、問題を解決して、初めて海外の人を「おもてなし」できるのではないですか。

経済成長を後回しにしてでも、今困窮している人を救うことが真に尊敬される国のあり方ではないのですか?

外面だけよければいいというアベくんの姿勢に乗っかってばかりで、恥ずかしくはないのだろうかね。

南三陸・女川の旅~(5)

女川での二日目の朝は綺麗に晴れ渡っていました。鉄道が通じている浦宿までの代行バスは、バス停までの距離があることや、時間の制約も出来てしまうので、この日は一旦女川の町までタクシーに出て、「おかせい」と言うところで「女川丼」と言う海鮮丼を食べてから、列車の発車時刻に合わせて再度タクシーで浦宿駅まで向かうことにしました。

「エル・ファーロ」のチェックアウトが10時、でも「おかせい」の営業は11時から。と言う事で、開店までの時間を「おかせい」の近くの海岸沿いの道を少し歩いてみました。

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このあたりは津波による被害から復興に向けての工事が進められていました。どこを見ても写真のような光景が目に付きます。

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「おかせい」は食事をするところというよりも、小さな市場という感じで、僕たちが着いた時も仕入れに来ている業者さんとかが行き来していました。モヒカンヘアの若いお兄さんがとてもイケメンで愛想が良かったのが印象的です。

店の中も鮮魚販売コーナーと食事スペースがあり、食事スペースでは市場の関係者か漁師さんが、賄いの食事をとっていました。

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結構、評判のお店で、小泉進次郎、レミオロメンの藤巻くん、さかなクンたちの色紙もありました。

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ここで海鮮丼を食べていたら、前日「かぐら」のカウンターで同席した男性三人組が入ってきて、「これはこれは・・・」と盛り上がって、帰る前に一緒に写真を撮ったりしました。

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なんでも、3人はコンクリートミキサー車のドライバーで石巻の工事現場で働いていて、その日は海が時化て護岸工事ができなくて、コンクリートミキサー車は全部キャンセルになったので、前日食べ損ねたという「女川丼」を食べに来たそうです。

ここから浦宿へ向かい、小牛田で乗り換えて仙台につき、そこから新幹線で東京まで帰ってきて、今回の旅は終わりとなりました。

いろいろと思うことの多い、そして思い出に残る事のあった旅でした。

1年か2年に一回はまた同じところを訪ねて、町の変化を見てみたいと思います。

旅を通して感じたことは、「まとめの回」に続けます。

南三陸・女川の旅~(4)酒飯処かぐら

宿泊先のエル・ファーロを出て、瓦礫は片付けられつつある一方で、復興の象徴であるはずの住宅や各種施設の新たな建設が進んでいるようには見えない女川の風景は、瓦礫が消えた今、復興がスローダウンするのではないかという不安を抱えたこの街の状況を物語っているようでもありました。

小1時間ほど歩いて僕たちがついたのが、「コンテナ村商店街」です。

ここはサイトの解説にもあるように2011年の7月1日に被災地でる女川でいち早くオープンした仮設商店街です。商店街といっても数件の商店がコンテナを改造して作った仮設の店舗が集まっているだけのところです。

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僕たちが着いた時間帯は昼間営業の商店や飲食店の店仕舞いが近づき、夜に営業する店は準備中、というタイミングでした。訪れているお客も僕たちぐらいで、中庭のようなスペースではどこかのお店の若い男性と子供が二人でサッカーをして遊んでいました。(^_^;)

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そろそろお腹もすいたので、出来れば営業時間の前に入らせてもらえないか聞いてみようと、男性が準備している気配のあった酒飯処「かぐら」に入り、聞いてみることにしました。

そしたらお店のご主人の言うことには、その夜は予約が入って満席とのこと。他に食事(&酒)を取れそうなところも思いつかない僕たちは、ご主人にどこか他にいい所はあるか聞いてみたところ、「カウンターならなんとか大丈夫」という事で、ホッと一息。

お店が始まるまで、少し散歩をして時間を潰すことにしました。

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お店のCMがYouTubeにあったので、ここに貼り付けておきます。



5時半の営業開始とほぼ同時にお店に入った僕たちは、カウンターでお酒を楽しみつつ、出される料理の「豪快な量」と美味しさに驚きつつ、おかみさんの話される津波に襲われた当時の状況、店舗も住居も自分たちがローンを何重にも重ねなければ前に進まないこと、それでも仮設住宅に住む辛さよりはマシだと言うこと、いろんな話を聞くことができました。

今度の旅で一番の印象に残っているのが、この「かぐら」で過ごした時間だったように感じています。

お通しで出てきたのが、煮付けにしたサンマ一尾分!さすがにたんぱく制限があるので、一人分は下げてもらいました。揚げ出し豆腐も美味しいし、フライドポテトはポテトに衣をつけてあげたもので、これも絶品。1人前で頼んだお刺身盛りは、鯨刺しまでついて量も味も最高でした。お酒もいろいろと美味しいものを楽しめて、かなり酔ってから、タクシーで宿に戻りました。

被災後、数ヶ月でオープンした当時は、何もない瓦礫の町に「復興」のイメージを印象づけたに違いないこの「コンテナ村商店街」も、オープンから2年が経ち、未だ津波に襲われた地域は復興の兆しはなく、店舗の再開時期も分からないままで、このコンテナ村商店街も以前の「モメンタム」は明らかに失われているように感じました。

お店も頑張ってはいるのですが、やはり仮設の悲しさで、トイレは工事現場にあるようなボックスタイプの仮設トイレしかなく、規模も小さいので団体客も入れない。そんなところからなかなか脱出できないもどかしさは、僕の想像を超えるものだと思います。


機会があれば、また是非訪れてみたいお店でした。そして、元のように「仮設」でないお店での営業が早く実現することを願っています。

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南三陸・女川の旅~(3)

女川でバスを降りた僕たちは宿泊先のトレーラーハウス宿泊村「El faro」 に電話をして、どうやっていくかを訪ねました。なんせ、工事車両ばかり走っていて、タクシーとか、バストか全然無いわけです。

Mihoちゃんが電話で聞いたところ、歩いて10分ぐらいのところにあることが分かり、残骸が撤去され、更地となった土地の中を通る道をぼちぼちと歩いて向かいました。

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トレーラーハウス宿泊村「El faro」については、ネットサイトの紹介をどうぞ。

僕たちは車はなかったけれど、アメリカのチョット小洒落たモーテルはこんな感じのものがあります。

アメリカの工事現場で仮説事務所として使われるトレーラーハウスが宿泊施設として使われていて、とてもユニークで興味深い試みです。

工事関係者やボランティアの人たちが多い時はここも賑わうようですが、この日は平日ということもあり、観光客も少なめでした。

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部屋で一息ついてから僕たちは女川の町を散策しに歩いて出かけることにしました。ただ、交通機関だけでなく、商業施設自体、とても限られていて、夕食を撮る場所も少ない選択肢の中から選ぶことになりました。

そこまで歩いていけるかどうか、正直不安でもありましたけれど、「まぁ、なんとかなるでしょう」という事で、とりあえず、タクシーの電話番号だけは控えて歩き始めました。大まかな位置を示す地図はあったのですが、距離感覚がつかめず、GoogleMapの位置情報でおおよその道のりを測りつつのテクテクでした。

工事車両が行き交う道路の脇は僕たち以外誰も歩いていなくて、僕たちを見た工事関係者の人たちは不思議に思ったでしょうね。(^_^;)

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女川の町で僕たちがまず目指したのはお酒と食事ができるはずだと判断した「酒飯処”かぐら”」のある、「女川コンテナ村商店街」でした。その話はまた次回。

食当たりで3日間寝込んでました(--;)



水曜日に解凍してチャーハンに使った豚肉が当たったようです。

みぞおちの痛みから始まり、下痢は大したことはなかったのですが、吐き気が続き、熱も37.5℃ほどまで上がりました。

土曜日までは食欲も無く、寝てばかりの3日間でした。

やっと今日は少し起きることができて、食事も少しずつ取れています。

腎臓にはよくない影響があっただろうと思うと、残念です。

Mihoちゃんが同じものを食べずに済んだのがせめてのもの幸いでした。

南三陸・女川の旅~(2)

ホテルからまず陸前戸倉のBRT駅に向かい、そこから鉄道が通じている柳津(下の絵の「柳井津」は間違い)と言う駅に向かいました。



僕らからしてみれば南三陸も女川も割と近いところにあるという感覚なのですが、地元の人にしてみれば、自動車を使わずに移動するような所ではないらしく、どういうルートで行けばいいのか、ホテルで聞いても「さぁ、どうなんでしょうねぇ?」と返されるばかりでした。

まぁ、線路がつながっていればその内着くだろうということで出発したのですが、まず、柳津駅で30分の列車待ち。(^_^;)

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ここから次の中継点「前谷地」に向かって、ここで石巻行きの列車待ちでまたもや1時間。
ここで切符の買い替えをしたのですが、気の良さそうな年配の駅員さんから、「女川まで何しに行くの?更地ばっかだよ」と言われました。(^O^)

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ここで、Mihoちゃんがヤマザキの菓子パンを買ってランチにしたので、僕もホテルでチンしてもらった「でんぷんホットケーキミックス」で作った蒸しパンをムシャムシャ。

そして石巻の駅について、ここから線路が復旧した浦宿へ行く列車を待って、また1時間。(オーマイガー)

ここで気づいたのが、石巻は石ノ森萬画館があることが有名だということ。

そう言えば、石ノ森章太郎の漫画をあしらったマンガッタン列車や、

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サイボーグ009の人形や、

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マンガッタン・カフェと言うお店まで駅のホームにありました。

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ここから浦宿行きの列車に乗って、終着駅についたら、駅のまん前に女川行きの代行バスが待ち受けていました。

バスで10分ほどして、女川のやや高台にあるバスの終点につき、ここからは歩いて、この日の宿泊先である「EL FARO(エル・ファーロ)」に向かいました。

途中の道は工事用のトラックや業務用車両が頻繁に行き交う道で、工事関係者以外、そして歩いている人も見当たりませんでした。

この地域は津波の被害を受けたところで、今はがれきは撤去されていますけど、更地になっていても、そこにはまだまだ復興が見えないもどかしさが感じられました。

そして、住宅も店舗も建てられず、この町で住み続ける人たちのストレスというものも絶対あって、それを僕たちが本当に共感できることは無いのだろうと言う思いも持ちました。

でも、だからこそ、被災地から目を背けてはならず、忘れることがあってはならないと感じるのです。

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女川のレポートはまた次回。

ここまで読んでくれたお礼ではありませんが、おまけ。

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